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自粛ムードが広がる中、折角桜も満開だってことで、金曜に靖国神社と千鳥ヶ淵界隈、土曜の今日は近所の川沿いを花見。
金曜は夜桜っていうか、平日じゃないと原稿に差し支えがあるっていうかw
ライトアップもされず、屋台もなんにも無い九段下でしたが、ある意味レアな花見となりました。
真っ暗な中の桜って、ある意味妖艶過ぎて怖い…。
本日は買物に行く途中遠回りして桜見ながら歩きました。
やっぱ自粛ムードからなのか、雨っていう予報からなのか河原は換算としてて、何組かはシート広げてお花見って感じでしたが、例年に比べるととんでもなく静かでした。
九段下では無理矢理弁当広げてる人達がいて、なにもそこまでwって思いましたが、近所がしんみりしてると寂しいなあ。
そういや、木曜の地震もすごかったですね…。
エリアメールで構えてたら埼玉も結構揺れてびびり、テレビガン見してたら、またしても実家が大揺れ…><
家に電話つながらなくて本気で焦った…。
とりあえずみんな無事で、被害はあまり無かったです。
母親はなんかとても強い人なので、地震直後に近所のパトロールして回っててw
揺れて開いちゃった窓のお宅に声描けてまわっってたらしいです。
妹の娘も、さすがに何百と繰り返される余震にすっかり慣れ、最初はおびえてないてばかりだったのに、7日の地震ではぐっすり寝てたそうで。
鳴れって怖いけど、強く生きる方向にむかってくれればいいなあと思います。
まだまだ、物資も不足してて…っていうか、避難所にしか物資は行かないので、自宅に居る方が食料に困る場合もあります。
実家がその状態になりかけてて、なんとか食いつないでますが、早く流通状態が回復すればいいと祈るばかりで。
先日気になっていた友人の家族の安否も分かり、やっと安心しました。
その子の父親は気仙沼に住んでて、漁師なので海っ淵に住んでますし、大病と戦ってますので心配でしたが、なんとか逃げれたようです。家はもちろん流されましたが。
そして、その子の旦那さんは港近くに会社があるので(仙台市の)会社の自家用車を失いましたが、津波に流されつつも、なんとか無事でした。
そんな大変な中、その友達は倒壊したスーパーできちんとパートの仕事をこなしてます。
使えない店舗の外の駐車場で品物を販売してるそうです。
私の同僚の実家は石巻でした。今日から彼は実家に帰って復興活動を手伝うため、休職期間に入りました。
倒壊、津波などの被害で大変なようですが、なんでもできることをしてくると言って先日帰社しました。
少しづつ、一歩ずつ、前に向って進んで行かないといけないなと思いました。
皮肉な話ですが、こんなことになって家族の絆っていうものがとても強くなりました。
今までは私は放蕩娘とからかわれて、私は店長してたときは何年も実家に帰らずにいました。
でうが、今はふとした時に電話したり、母親が苦手なメールくれたりとコミュニケーションを今まで以上にとれてます。
今は早く仙台に帰りたいですが、じっと我慢して自分の生活をしっかり守ろうと思います。
そして、経済を動かして会社にも貢献したいと思う。
会社の運営する店もいくつも水没したり、倒壊してしまいとんでもない損害が出てます。
ですが、56人の新入社員は全員無事に入社ができました。
一人は被災地から来るまで8時間かけて入社式にきました。
かれらの為にも、自分がいまできることを精一杯やろうと思います。
私的にはそれは自粛することでも、無理して被災地に支援にいくことでもなく、今自分の生活、仕事とその周りに関係してくる人を守ること。
頑張るんではなく、踏ん張ること。
そして、5月無事に新刊を出すこと…><
あああああ…なんてオチ…。
ごめんなさい…。
金曜は夜桜っていうか、平日じゃないと原稿に差し支えがあるっていうかw
ライトアップもされず、屋台もなんにも無い九段下でしたが、ある意味レアな花見となりました。
真っ暗な中の桜って、ある意味妖艶過ぎて怖い…。
本日は買物に行く途中遠回りして桜見ながら歩きました。
やっぱ自粛ムードからなのか、雨っていう予報からなのか河原は換算としてて、何組かはシート広げてお花見って感じでしたが、例年に比べるととんでもなく静かでした。
九段下では無理矢理弁当広げてる人達がいて、なにもそこまでwって思いましたが、近所がしんみりしてると寂しいなあ。
そういや、木曜の地震もすごかったですね…。
エリアメールで構えてたら埼玉も結構揺れてびびり、テレビガン見してたら、またしても実家が大揺れ…><
家に電話つながらなくて本気で焦った…。
とりあえずみんな無事で、被害はあまり無かったです。
母親はなんかとても強い人なので、地震直後に近所のパトロールして回っててw
揺れて開いちゃった窓のお宅に声描けてまわっってたらしいです。
妹の娘も、さすがに何百と繰り返される余震にすっかり慣れ、最初はおびえてないてばかりだったのに、7日の地震ではぐっすり寝てたそうで。
鳴れって怖いけど、強く生きる方向にむかってくれればいいなあと思います。
まだまだ、物資も不足してて…っていうか、避難所にしか物資は行かないので、自宅に居る方が食料に困る場合もあります。
実家がその状態になりかけてて、なんとか食いつないでますが、早く流通状態が回復すればいいと祈るばかりで。
先日気になっていた友人の家族の安否も分かり、やっと安心しました。
その子の父親は気仙沼に住んでて、漁師なので海っ淵に住んでますし、大病と戦ってますので心配でしたが、なんとか逃げれたようです。家はもちろん流されましたが。
そして、その子の旦那さんは港近くに会社があるので(仙台市の)会社の自家用車を失いましたが、津波に流されつつも、なんとか無事でした。
そんな大変な中、その友達は倒壊したスーパーできちんとパートの仕事をこなしてます。
使えない店舗の外の駐車場で品物を販売してるそうです。
私の同僚の実家は石巻でした。今日から彼は実家に帰って復興活動を手伝うため、休職期間に入りました。
倒壊、津波などの被害で大変なようですが、なんでもできることをしてくると言って先日帰社しました。
少しづつ、一歩ずつ、前に向って進んで行かないといけないなと思いました。
皮肉な話ですが、こんなことになって家族の絆っていうものがとても強くなりました。
今までは私は放蕩娘とからかわれて、私は店長してたときは何年も実家に帰らずにいました。
でうが、今はふとした時に電話したり、母親が苦手なメールくれたりとコミュニケーションを今まで以上にとれてます。
今は早く仙台に帰りたいですが、じっと我慢して自分の生活をしっかり守ろうと思います。
そして、経済を動かして会社にも貢献したいと思う。
会社の運営する店もいくつも水没したり、倒壊してしまいとんでもない損害が出てます。
ですが、56人の新入社員は全員無事に入社ができました。
一人は被災地から来るまで8時間かけて入社式にきました。
かれらの為にも、自分がいまできることを精一杯やろうと思います。
私的にはそれは自粛することでも、無理して被災地に支援にいくことでもなく、今自分の生活、仕事とその周りに関係してくる人を守ること。
頑張るんではなく、踏ん張ること。
そして、5月無事に新刊を出すこと…><
あああああ…なんてオチ…。
ごめんなさい…。
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